2026年7月21日火曜日

翻訳する私

翻訳する私/ジュンパ・ラヒリ

 新刊が出るたびに必ず買う作家の一人であるジュンパ・ラヒリの最新作。今回はエッセイの枠を超え、翻訳という営みを多角的に掘り下げた、骨太な論考集だった。

 近年の著者はイタリア語の習得をライフワークとし、エッセイや小説をイタリア語で執筆してきた。本著では、そうした経験を踏まえながら英語にも立ち返り、複数の言語の間で生きることを深く考察している。移民二世である著者は、幼い頃からベンガル語で考えたことを英語へ変換するプロセスを自然に経験してきたという。複数の言語を身につけた人だからこそ見える、それぞれの言語でしか表現できないニュアンスについての考察は、どれも刺激的だった。

 『変身物語』におけるナルキッソスとエコーの話と翻訳のアナロジーは著者の翻訳論の肝である。ギリシャ神話を抽象化して、自身の論理を築き上げていく様は学者さながらだ。神話に詳しくない読者にも伝わるよう丁寧に説明され、さらに繰り返し参照されることで、その比喩の説得力が増していた。

 イタリア語への深い愛情が随所から伝わる一方で、イタリア社会ではなお「外様」として見られることへの戸惑いも率直に綴られている。多様なバックグラウンドを持つ人々が英語を共通言語として生きるアメリカとは対照的に、イタリアは画一性が高いからこそ、著者に対して「なぜイタリア語なのか?」と繰り返し問われることに疲れているようだった。

 翻訳は生成AIの普及によって真っ先に代替される仕事として語られがちだ。しかし、実際の翻訳プロセスや思考過程について読んでいると、AIによる翻訳でどこまでフォロー可能なのかと思わされるほど、プロフェッショナルな仕事だった。コンテキストだけではなく、言葉のリズム、語同士の響き合い、一冊全体の構造まで見渡しながら訳文を組み立てていく。その徹底した仕事ぶりには圧倒された。AIが翻訳を大きく変えることは間違いないとしても、仕事のディテールを知らないまま「AIで代替できる」と決めつけることの危うさも感じさせられた。

 また、「翻訳は二次創作であり、創作より下位に位置する」という価値観に著者が強い怒りを示している点も印象深い。「作家としてアイデアが枯渇したから翻訳をしているのだろう」という偏見に対し、創作と翻訳を序列化する発想そのものを問い直していく。具体例を交えながら翻訳の創造性を論じ、「すべては模倣から始まる」というクリエイティブ論へと展開していく流れは、著者の創作哲学そのものを映し出しているようだった。

 著者がイタリア語で執筆を始めたのは45歳の頃らしく、物事に遅いことなんてないなと思えた。他の言語能力を取得するモチベーションはAIの台頭に伴い減退する一方だったが、著者の言語に対するピュアな興味の抱き方を読んでいると、何かを学ぶことの醍醐味を思い出させてくれた。コスパ、タイパで物事を測っていては、人生は少しずつ味気がないものになっていくからこそ、学習意欲は大切にしたいと思えたし、英語をもう1度頑張るか、韓国語を新たに勉強しようかな。

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