植本一子さんが東京都渋谷公演通りギャラリーで展示をされるとのことで見てきた。会場では植本さんを含めて4名の展示が行われており、しかも無料。場所はパルコの真裏という渋谷の超一等地なので、渋谷に用事のある際には立ち寄りやすい場所だった。
(私はCampanellaのライブ@WWWXの前に伺いました。)
この展示は『ここは安心安全な場所』でフォーカスしていた遠野の馬の写真と、新しい試みであるドキュメンタリー映像の2本立てとなっている。後者は、10年ぶりの帰省を記録したドキュメンタリーとのことで、長年日記を読んできた自称「一子ウォッチャー」としては、ご実家との関係も頭をよぎり、少し緊張しながら見たところ、それは杞憂で映像には終始穏やかな時間が流れていた。
実家に帰るのは10年ぶりとのこと。日記で読んだことがある家が実際に映し出され、そこには昔ながらの日本の家があった。帰省の様子に合わせてモノローグが流れる構成なのだが、見始めてすぐに感じたのは料理の豊かさである。
実家に帰ると親がたくさん料理を作ってくれる、というのはよくある話かもしれない。しかし、この映像から伝わってきたのは、そうした「あるある」を超えた、料理そのものへの熱量だった。そして、その源流がお母様にあることが自然と理解できる。日記やSNSでこれまで何度も手料理を目にし「美味しそうだな〜」と毎度思っていたが、その背景には母から受け継いだものがあったのだと腑に落ちた。これまでは料理以上に様々な出来事が起こり続けていたため、料理そのものに焦点が当たることは少なかったように思う。映像というメディアだからこそ、その豊かさがよりダイレクトに伝わってきた。
料理だけでなく、この10年間の出来事を一本の線で結び直していくような内容にも驚かされた。当日、会場にご本人がいらしたので、どこまで意図的な構成なのか尋ねたところ、「ノープラン」とのことだった。しかし、お母様がここぞとばかりに明かす新事実が、どれも植本さんの人生に関わるものばかりだ。放射線と甲状腺、苗字の変遷と帰属性など、これまで日記で読んできたテーマに対して、お母様が新たな情報をもたらし、次々と見方が更新されていく。長年の読者ほど受け取るものは多いだろう。作品にするために、お母様が親心で撮れ高を用意してくれたのではないかと邪推したくなるほどだった。
両親の暮らしぶり、たまにインサートされる猫の映像、孫のために植えた木の話など、終始穏やかな時間が流れ続けている。しかし、この帰省に至るまで10年という歳月があった。「10年会わないというのは、なかなかだよな」と思い、最後に帰省した際の様子が書かれている『家族最後の日』をあらためて読んでみた。そこでは植本さんの筆力もあいまって壮絶な出来事が繰り広げられていて言葉を失った。一度読んでいるはずなのに、自分が親になった今読むと、祖母、母、自分、子どもという4者の関係性が全く違って見える。ここまで胸が締め付けられる出来事はフィクションでもなかなか遭遇しない。この経験を経て10年後に再会し、その時間をドキュメンタリーとして作品に落とし込めるだなんて。ここに植本さんらしい気骨を感じるし、時間が解決してくれることもあるのだなと思えた。
そして、実家から移動後は戦争の話題へとシフトしていく。戦争との距離感は、以前に読んだウェブのエッセイを読んだ際にも印象に残っていたが、今回の映像でさらに立体的に伝わってきた。広島で育った人だからこそ抱く戦争への切実な忌避感は、社会全体が少しずつ右傾化している今、かえって新鮮に映ってしまう。その自分の感覚の変化が怖かった。
単なる広島の記憶を振り返る作品ではなく、現在、そして未来に対する視線があるからこそ、このドキュメンタリーは今見る意味がある。今年の衆議院選挙の結果を見て以来、個人的には政治に対する無力感ばかりが募っていた。それでも、「嫌なことは嫌だ」と言い続けることをやめてしまえば、本当に何かが起きるところまで社会は進んでしまうかもしれない。ECDのツイートを基にした「ONE PERSON. ONE POWER.」のパッチムーブメントを思い返しながら、この無力感に抗い続けなければならないと、あらためて感じた。

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