2022年2月8日火曜日

怒りの人類史 ブッダからツイッターまで

怒りの人類史 ブッダからツイッターまで/バーバラ・H.ローゼンワイン

 育休取得中に手続きの関係でPCを開いて、一瞬だけ仕事のメールを見てしまった。そのときにヒドいメールが届いてて怒りに頭が支配されてしまい数日ほどそのことが頭から離れなかった。このままでは復帰後に爆ギレしてしまうと思い、友人から勧めてもらったアンガーコントロールの本を読んだ。そこに書かれていたのは仏教をベースにした怒りの付き合い方で、怒りを相対化することの重要性が書かれていた。ということは怒りについて知ることが重要だなと思い本著を読んでみた。読んだ結果、目論見通り怒りをさらに相対化することに成功。本の内容がアンガーコントロールに寄与してくれて助かった。

 タイトルのとおり、怒りと人類がどのように向き合ってきたのか?を基本的には時系列に沿って哲学、宗教、医学などの角度で検証してくれている。かなり広範な範囲の話をしていて付いていけないところもありながらも驚いたのは1000年単位で怒りについて人類が考察し続けていること。アンガーコントロールの必要性がここ数年喧伝されているなと感じていたけど、怒りという情動(エモーション)は人類が連綿と抱え続ける十字架のようだ。そもそも怒りの作動経路について身体的反応が先か、精神的反応が先なのか、というレベルで科学的にはクリアになっていないそうなので、人類としてはコントロールに苦しむのも当然かと思えた。

 十把一絡げに怒りといっても当然種類、グラデーションが存在する。本著の言い方を借りれば、その怒りは美徳か、悪徳か。無くなった方がいいネガティブな情動に近いものもあれば、社会で抑圧されたり差別されている人たちの怒りは変革を志すポジティブなものである。だから怒るときは怒るし不必要に怒り続けるのは良くない。感情の置き場を自分で意識してコントロールする必要があるなと思えた。すべての事象について同列に怒り続けてきた人生だったと今更ながらに気づいた…辛い人生でした。SNSをはじめとして色んな事象が可視化されて怒りの発火元になりそうな案件が世の中にゴロゴロしている今、自分で当たりに行って「痛いな!」とブチ切れる暇があったら少しでも自分の時間を大事にしていきたい。今後役に立ちそうなくだりを引用しておく。

怒りに身をゆだねることは理性を失うことであり、しかも、人間の性質はもともと理性的なので、怒ることはそのままみずからを失うことを意味する。

理論的な部分が「自分が不当に軽んじられた」と考えると、非理論的な部分が怒りを感じる。これが理論的な部分の評価に影響を与える。

怒りの情動は、じつはもっとも共感しづらい。というのも、我々がとっさに思うのは、怒りの犠牲者に対する共感だからだ。


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