![]() |
| トピーカ・スクール/ベン・ラーナー |
前作『10:04』も読んだベン・ラーナーの最新作。何を読んでいるか、途中までなかなか掴めないにも関わらず、ある地点から急に視界が開け、その世界に没入させられてしまう。そんな特別な読書体験だった。
主人公アダムを中心に、家族や友人たちの人生が交錯する群像劇。舞台はアメリカ中西部の田舎町で、精神科医の両親を持つアダムがどのように大人になっていくのかが語られる。家族というものは、それぞれの年齢や立場の変化に応じて形を変えていく。本著では時間軸や視点を大胆にシャッフルすることで、その変化の過程を立体的に描き出していた。また、メタ的な視点を含むさまざまな仕掛けも特徴的で、読者を楽しませてくれる。
登場人物の多さに対して説明描写は最小限で、前半は正直読みにくい。大きな事件が起こるわけでもなく、鮮明な情景描写と何かの気配だけが漂い続ける。しかし、読み進めるにつれてテーマが徐々に浮かび上がり、気づけば夢中にさせられる構成が見事だった。作品全体は安易に要約できないよう設計されており、パズルのピースのように最後に合わさっていくカタルシスが本著の魅力と言える。
個人的には母ジェーンのパート「男たち」で一気にギアが上がった印象だった。現在から過去を振り返る語りでありながら、かつ二人称なのでインタビューを読んでいるようだった。ここで家族関係や過去の出来事が整理され、舞台背景がクリアになる。この章以降、各描写の意図が理解しやすくなったので、読みづらくて苦労している人は、何はともあれここまで読み進めてみてほしい。
巻末で白岩英樹氏が熱く、熱く、語り倒しているとおり、本著は現代の言葉、特に「話し言葉」をめぐる物語だ。他者と会話することの意味について、ディベートを通じて考えさせてくれる。ディベートでは相手を論破することを目的とするが、その技術や価値観が、私たちの生活に侵食していることを浮き彫りにしているのだ。たとえば冒頭で、アダムが両親から注意された際にディベートのスタイルで反論するくだりは象徴的だ。それはアメリカや日本の政治的リーダーが、言葉を軽視し、はったり上等で息をするように嘘を吐き出す振る舞いとも重なる。彼らのスタイルがディベートと地続きであることが、小説を通じて浮かび上がってくるのが興味深い。
また、大量の情報を一方的に投げつけ、反論がなければ同意とみなすようなコミュニケーションも登場する。ウェブ上で規約に同意する場面なんて最たるものだが、これもディベートの技法の一つらしい。本著ではディベートに限らず、今の社会に対する違和感を登場人物や設定を通じて見せていく展開が多く、著者の視点の鋭さに何度も舌を巻いた。
ヒップホップが大きくフィーチャーされている点も印象的だった。著者はもともと詩人でもあるので、親和性は高いのだろう。なんと「サイファー」という章まであり、ディベートとMCバトルをオーバーラップさせていく語り口は「話し言葉」をテーマにした本著にぴったりだ。2 Pac、Bone Thugs-N-Harmony が印象的なシーンで登場していたり、ディベートにおいて速度と内容の激しさではない韻律の重要性について表現していたり。90年代の米国中西部における白人たちのヒップホップの受け止め方という観点でも興味深い描写が多かった。
子を持つ身としては終盤の展開にも強く惹かれた。子どもが「よくないこと」をしたとき、大人はどこまで介入すべきなのか。本作は二つの対照的なシチュエーションを通じて、その難しさを描いている。大人が介入して解決すべき問題と、子どもたち自身に委ねるべき問題。その境界線の曖昧さを寓話的に表現する手腕は、まさに小説家ならではだ。
さらに、ここで鮮やかなのは「介入」というテーマを家族の問題に留めず、重層的にアメリカ社会を描いていることだ。共和党は限りなく小さい政府を掲げ、市場原理を重視する一方、外交や移民政策では必要以上の介入を行っている。「介入」の是非が、社会全体の要請や利益ではなく、各人の立場や利害によって判断されている。そんな社会の硬直性をこんなふうに描くことができるなんて脱帽した。
現代に関する直接的表現はミニマルであるにも関わらず、ここまで今の問題を鮮やかに描き出す筆力。そして、説教臭く感じさせない物語的ギミックの数々とポエジー。これらが組み合わさり、唯一無二の小説となっていた。次の作品が今から楽しみ。

0 件のコメント:
コメントを投稿