傷を愛せるか/宮地尚子 |
ブログやSNSで頻繁に見かけていたタイミングで本屋で見かけて買った。精神科医兼研究者の方によるエッセイ。普段見聞きしない視点からのエッセイだったので興味深かった。学術性と文学性のバランスが良く読みやすさと奥深さが両方担保されていた。 エッセイは書き下ろしが基本で、第二章はアメリカ留学の内容の雑誌に連載していた記事になっている。色んな時間や場所の話が収録されており読み応え十分。精神科医としての臨床における心構えや経験を踏まえた彼女なりの考察などが読んだことないタイプで興味深いし平易な言葉かつストレートな文体なのでスッと心に入ってきた。
タイトルは「傷」となっているが、もう少し広いレンジで「弱さ(vulnerability)」をどう許容するかという話だったように思う。実際、許容する社会であってほしいという祈りに似たような言葉もあった。弱いものが弱いままでいられる社会の方が居心地がいいはずだし、それが社会の進化、前進なのでないかという話が特に刺さった。最近は能力主義の跋扈により日常のあらゆる場面で効率が優先されるようになっているが、本当にそれでいいのか考えさせられる。こういった話をトラウマ治療をしている精神科医の方の文章で読めること自体が貴重な読書体験だったと思う。本当にいろんな話が収録されているのだけど、パンチラインがそこかしこにあり付箋だらけになった。超良質エッセイ。
「なにもできなくても、見ていなければならない」という命題が、「なにもできなくても見ているだけでいい。なにもできなくても、そこにいるだけでいい」というメッセージに変わった。
現実のもろさや危うさの中で、未来を捕捉することは実際にはできないからこそ、希望を分かち合うことによって未来への道筋を捕捉しようとする試み。予言。約束。願い。夢。
手にしたものがつまらない情報だと、ほっとしてくる。だって捨てられるから。逆におもしろい情報があるとあせる。フィルタリングの動きが滞ってしまうから。
剥がしても剥がしても張りついてくる薄い寂しさのようなものを、わたしたちは今抱えている気がする。
公的な場でなくとも、相手より自分のほうが年齢や知識や地位が上だったり、責任や権威をもつ側であったりするときは、どうしてもふるまいが「男っぽく」なりがちである。たとえば、わたしも自分の子どもにたいしては、けっこう問題解決モードで対応してしまっているなあと思い、もっと気持ちをくみながら話を聞かなければならないと、ロールプレイを見ながら反省しきりだったのである。
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