2026年9月11日金曜日

傷のあわい

傷のあわい/宮地尚子

 『傷を愛せるか』がオモシロかったので積んでおいたのだが、『侍女の物語』で物語疲れしたのでリフレッシュしたくなって読んでみた。社会学のエスノグラフィー的な手法で描かれた多様な人生のあり方が興味深かった。

 著者がアメリカへ留学した際、研究の一環でインタビューした在米日本人たちのエピソードと、自身の周辺にいる人々との交友関係をめぐるエピソードの二軸で構成されている。社会学のエスノグラフィーの手法を駆使しつつ、1990年代後半の在米日本人たちの一概にオモシロいとはいえない人生の断片の数々や、著者の周辺にいる人々の人生を読んでいるうちに、さまざまな思いが去来した。

 冒頭で、研究対象となった人々のプライベートを守るため、細部にかなりの変更、脚色を加え、複数の人間像を合成していると宣言されている。これは当然必要な配慮であり、著者の真摯な姿勢の表れとも言えるのだけども、複雑な気持ちになった。著者が抱いた感情はリアルだとは思いながらも、ある主張や感情を描くために用意された登場人物なのではないか、いわば「マッチポンプ」なのではないかという疑念が頭をかすめる瞬間もゼロではない。エッセイ以上小説未満的な、それこそ「あわい」のような創作物なのかもしれない。とはいえ読んでいるあいだは、フィクションというよりエッセイとして受け止めていた。

 「在米日本人」と一言で括っても、自らの意思でアメリカへ渡った人もいれば、周囲の環境の変化によって、望むと望まざるとにかかわらずアメリカで暮らすことになった人もいる。そのグラデーションのなかにある、趣深い人生のエピソードがどれも興味深い。

 特に日本社会に息苦しさを感じ、アメリカという異なる環境に身を置き、自らを変えようとする人々の話は苦しい気持ちになった。それは自分自身、日本の就活で求められる独特のノリに辟易して、ヨーロッパで博士課程を取得することを模索していた経験があるから。今振り返れば、目の前の現実から逃げようとしていただけのように思う。けれど、当時の自分は社会人として生きていく欺瞞に耐えられなかった。結局、ビビって就職したのだけども、逃避するように渡米した若者の話である「二〇歳の人生落伍者」を読むと、そうやって一時的に寄り道する人生も悪くなかったのかもしれないと思ったり。無いものねだりではあるのだが…

 当時はまだインターネットが今ほど身近ではなかったため、アメリカで感じる孤独にまつわるエピソードの数々は時代性を感じるものだった。特にパートナーの都合でアメリカで暮らすことになり、英語もろくに話せない中で孤独を深めていくエピソードは、その閉塞感を想像すると辛い。SNSはインプレッション重視になった結果、その負の側面が語られる場面が増えている。しかし、何かに悩んでいるときに「一人じゃない」という連帯感を得て、救われる可能性を提供している側面もあるはずだと改めて感じた。

 本著を読んだ誰もが強烈な印象を抱くのは、2つの章にわたって描かれる「PTSD」だろう。今ではPTSDという言葉は一般的だが、当時は精神科医による専門用語の域を出なかった。そんな時代にPTSDを発症した患者として描かれるのが、アメリカでショットガンで撃たれた男性である。自己責任論が跋扈する現在にも通じるものがあるが、今ほどではなかったにせよ、撃たれた側の男性が罪の意識に苦しんでいるという話は、読んでいて辛かった。

 また「パレスチナ」の話も印象的だった。差別意識にまつわるエッセイで、これほど優れたものはなかなか読めない。日常生活のなかで起こる些細なエピソードから、自身の意識、さらには実際の現場へと描写を広げながら、いつの間にか読み手自身の差別意識まであぶり出していく。その筆致が見事だった。

 藤本和子の一連の作品と並べて読みと、アメリカで生きる人たちのリアリティがより立体的に浮かび上がってくると思うので、未読の『塩を食う女たち』を読みたくなった。

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