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| 脱獄のススメ 弍/NORIKIYO |
昨年秋に第一弾が届けられたNORIKIYOの獄中記の第二弾。第一弾も最高にオモシロかったが、まったく異なる味わいをもった、超一級の刑務所潜入ルポルタージュだった。
前作のまえがきは獄中で書かれていたが、今回は仮釈放後に綴られている。釈放後にライブに客演参加している姿はSNS等で目にしていたものの、釈放後の本人の言葉に初めて触れると「本当に釈放されんだ…良かった…」という気持ちになった。本著では服役9〜14ヶ月の頃の日記が一日も欠かすことなく綴られている。毎日これだけの分量を手書きで書いていることに改めて驚かされるし、NORIKIYOの眼と耳を通じて知る「今の刑務所」の様子は前作に続いて目から鱗な話の連続だった。
刑務所ライフは娑婆と完全に乖離しており、当たり前にできることが徹底的に制限される過酷な状況を読めば読むほど、今の生活に対する感謝が湧いてくる。そんな中でもNORIKIYO自身の刑務所内でのランクが上がったおかげで、お菓子が買えるようになり、お菓子描写は前作に比べて大幅に増加。もはや砂糖こそドラッグなのではないかと思えるほどの熱量で書かれており、食べたくても食べれない無念さが文章に昇華されていた。
刑務所にいながらも、ヒップホップの話題はてんこ盛りだ。閉鎖的な空間の中でも近年の日本語ラップの盛り上がりが届いているのだ。Creepy Nuts、Awich、梅田サイファー、千葉雄喜などがラジオを通じてNORIKIYOに届いており隔世の感があった。マスに届く音楽は、ヒップホップカルチャーにおいて軽視されがちだが、ANARCHYが少年院でZEEBRAに出会ったように、マスだから届く層が間違いなくある。
ZEEBRAといえば、例のビーフに関して長めに言及されており、これはあの頃の日本語ラップヘッズ全員が読むべき内容だった。当時から現在に至るまでの感情や意図が、愛憎入り混じりながら赤裸々に書かれており、NORIKIYOがどれほどヒップホップを愛しているか伝わってきて胸が熱くなった。ビーフについては他にもYZERR vs 舐達麻を通じたNORIKIYO流ビーフ論もあり、「どちらがどうとかより、両方に感謝しろや!」という視座は新鮮だった。
NORIKIYOがミュージック・マガジンに掲載された自身の作品レビューについて言及するシーンも印象的だった。NORIKIYOと批評といえば「混ぜるな危険!」なわけだが、今回は比較的大人な対応になっている。『犯行声明』に収録された曲の解釈が異なることについてツッコミを入れているのだが、改めて当該曲を聴くとメタファーのレベルが相当高く「これはしょうがないのでは?」と思った。同時に、深い解釈をもたらすことができるという意味で、NORIKIYOが優れたリリシストだと再確認したし、これまでの作品でリスナーが気づいていない解釈がたくさんあるかもしれない。
『犯行声明』やこの獄中記の制作背景についての記述も興味深い。前作も本著も自費出版ながら、完成度は商業出版と遜色ない。実際、現役の編集者たちが手伝っているようで、当初は出版社からのリリースを想定していたものの、重版タイミングを自身でコントロールできないことを知り、クリエティブのハンドルを自ら手離さない姿勢はまさにインディペンデントの矜持だ。
誰かに自分の言葉を預けることに対して敏感なのは、音楽における原盤権と重なるからだろう。書籍は音楽ほどインディペンデントな動きが広がっていない中で、それでも彼が自分の言葉を大切にする姿勢は、自費でZINEを作っている身からすれば勇気づけられた。さらに、自費出版を選択したにも関わらず、編集者たちが手を引かずに協力していることに、獄中記に対する編集者たちの愛を感じたのだった。
前作と大きく異なるのは、リリックに関する内容が飛躍的に増えたことだ。一つは、NORIKIYOがいかにして塀の中でリリックを書いてきたか。はじめのころはトイレットペーパーに書くという懲罰にもなり得るリスキーな行動を重ねつつも、やがて頭の中で組み立て、居室で書き出すというスタイルへ徐々に進化していく過程がスリリングだった。さらに、NORIKIYOがラッパーであることが発覚してからは、同囚だけではなく看守まで含めた皆が彼のクリエティブを見守っているような状況にグッときた。これだけの濃い人生経験をどのようにラップとして昇華してくれるのか、楽しみでならない。他にも多様性の観点とリリックの兼ね合いについても相当な文字数を割いて書いており、現役のラッパーでここまで自分のリリックについて思慮深く考えているラッパーがどれだけいるのだろうか。
もう一つは、受刑者たちのリリックである。NORIKIYOのリリックは掲載されていない一方で、周りの受刑者たちのリリックが載っているのだ。比較的長期の刑に服している受刑者が多い工場に配属されており、彼らのリリックは言葉の重さがとんでもない。実際にラップして音楽としてどう響くのかは分からないが、読み物としてのリリックの完成度が高くてグイグイ引き込まれた。しかし、当然ながら、彼らの多くは被害者がいる重罪を犯した犯罪者…このアンビバレントな感情に引き裂かれる。決して彼らの過去の行いを肯定するものではないとNORIKIYOも繰り返し言及しており、その上で救済の音楽としてヒップホップがこれだけ機能していることをダイレクトに見せつけられると、刑務所が用意するガワだけの更生プログラムよりも人を救う可能性があるのではないかと思ってしまう。
読んでいて思わず泣いてしまったのは、塀の外からの名前を呼ばれる場面だった。居室にいるNORIKIYOへ向けて、刑務所の外から誰かがいたずら半分に名前を叫ぶ。その一連の流れの描写および、それに対して応答する文章の素晴らしさよ…塀の内と外の話は幾度となく登場するが、このシーンほどポエティックなものはなかった。いたずらに名前を呼ばれたことだけで、ここまでのことが書けるのはNORIKIYOがリリシストであることの証明である。
刑務所論や依存論といった骨太なテーマについて深く掘り下げている点も興味深い。前者では、刑務所が本当に更生施設として機能しているのか、いかに人権軽視な状況が続いているのか、具体例を交えて論じられる。再犯率が約50%という現実を見れば、少なくとも数字上は機能しているとは言い難い。(リピート率50%のテーマパークというアイロニーを炸裂させていた。)こんな状況において、NORIKIYOは清々しいほどに理想を語っていて胸がすく思いだった。SNSでは冷笑的な現実主義者の立ち回りが賞賛され、理想を語る人間が後ろ指をさされがちだ。しかし、それはあくまでネット上での話だ。ネットから強制的に切り離されたNORIKIYOに肩を揺さぶられ現実に引き戻されるような感覚だった。是々非々だけでは社会は前に進まない、自分なりの理想を語り続けなければならないのだと感じた。
自分自身、若い頃は政治を筆頭に社会に対する怒りや、こうあってほしいという理想を掲げていたが、年を重ねるにつれてどんどん他人事になり、自分の頭で考えなくなっていた。しかし、本著を読むと、それがいかに危ういことで、お上の扱いやすい国民になってはならないという思いを強くした。
後者の依存論については、前作の「大麻論」から、さらに普遍的な論考へと拡張している。現代社会が依存に満ちていることを踏まえ、ドラッグに限らない依存の構造が論じられている。このきっかけになったのは、仮釈放に向けた教育プログラムが始まったことが影響しているのだろう。始終硬直しているように見えた刑務所の中で、この授業の柔軟さは意外だったわけだが、それでも日本社会のドラッグに対する盲目的なアプローチについては、NORIKIYOの主張が説得力をもって響いた。地動説と天動説を引き合いに出しながら、未来の読者に語りかける様子は本という時間軸の長いフォーマットならではだ。
清濁あわせ呑んできたNORIKIYOだからこそ辿り着ける視点の数々。こんな獄中記は、今後二度と読めないのではないか?そう言い切りたくなる傑作だった。

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