2026年10月20日火曜日

ブラックボックス

ブラックボックス/砂川文次

 自転車を修理して再び乗れるようになり、天候も最高なので、ここ最近は自転車に乗るのが楽しい。自転車絡みの本を読みたくなり、ずっと積んでた本著をついに読んだ。2021年のコロナ禍真っ只中の芥川賞受賞作品なのだが、当時はまったく気にしてなかった。それがもったいなさすぎるほど、現代日本を鮮やかに描いている快作だった。

 バイクメッセンジャーであるサクマが主人公で、仕事と生活を営みながら、その中で考えている思考の断片の数々が綴られていく。冒頭の自転車事故のシーンの粒度の細かさから一気に引き込まれる。高速で走る自転車から投げ出される瞬間が、意識の移り変わりまで含めて描かれていて、事故の経験がある人なら、自分のケースが間違いなくフラッシュバックするはず。

 メッセンジャーという職業柄、街を自転車で駆け巡るシーンが気持ちいい。「ここを渡って、右に曲がって…」といったルート選択や、街に対する視座など、自転車で走行中に考えることも落車と同じく丁寧に描かれており、読んでいるあいだ、自分がペダルを漕いで街を滑走しているような気分になる。「微妙な街の息遣いを誰よりも知っている」というC.O.S.A. × KID FRESINO「Swing at somewhere」を彷彿とさせるラインにもアガった。

 メッセンジャーは、今や社会のインフラになりつつあるウーバーイーツに代表されるギグワーカーの先駆けである。そんな自転車ギグワーカーの生活のリアルと、人生のなんともならなさを合わせ鏡のように描いている。どれだけペダルを漕いで回転(ケイデンス)を上げても、自分の人生が前進するように感じられない。社会の歯車として回っているが、高速で回している間は回すことだけを考えていて、回し方を考えるような引いた視点で捉えることができない。人生が硬直化し、どうにもならない閉塞感が詰まっていて苦しくなるシーンも多い。

 それを象徴するのが、人生におけるゴールとループの話だろう。サクマは自分の人生が同じことの繰り返しで、何かを積み上げてゴールに向かう感覚がないことを不思議に思っている。職を転々としても、結局異なるループに移ってるだけで先に進んでいない。現代社会の不透明さ(つまり、ブラックボックス)、理不尽さと自身が感じる無力感を、自転車を通奏低音にしながら極めてドライな視点で描いている点が本著の読みどころだろう。

 一方で、サクマはドライでありながら、突沸するように怒りを爆発させるタイプでもある。怒りが小説を一気に埋め尽くす瞬間のとてつもないエナジーの虜になった。アンガーコントロールして上手く世渡りしてほしいと思いつつも、胸クソキャラが登場すると、サクマの怒りの矛先にならないかな…と思いながら読んでいた。すると、それを察知するかのように、暴力を短絡的に義憤だと勘違いすることの愚かさを厳しく指摘されてぐうの音も出なかった。

 一度ループから外れた(落車した)場合に、人生を好転させることの難しさもヒリヒリと伝わってくる。それは後半に突如訪れる刑務所パートに顕著である。最近、NORIKIYOの獄中記を読んでいたことで「刑務所」という場所に多少馴染んでいたこともあり、主人公の置かれた状況の厳しさが理解できた。特に懲罰で独房に50日間監禁されているシーンの思考に連なりは、濁流に飲み込まれるように読んだ。

 刑務所のシーンでもう一つ印象的なのは刑務作業である。組み立て、修理といった一見単純な作業の中で、サクマは世界との接点を見出していく。「修理できる=どこへでも行ける」と繋がっていく感覚は、こないだ自転車を自分で修理したときに感じた手応えそのもので納得できた。

 文庫版の表紙絵があまりにもダサすぎるので、圧倒的にかっこいいハードカバー版をオススメしたい。と思って、装丁のクレジットを見ると川名潤で流石すぎる…!と思った。

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