次の東京オリンピックが来てしまう前に/菊地成孔 |
タイトルにある「次の東京オリンピック」はTOKYO2020のことであり、本当はオリンピック前に読むべきだったろうけど遅まきながら読んだ。粋な夜電波が無くなった今、菊地成孔的な成分を定期的に摂取したくなるのだが、その気持ちを満たすだけの冗長性、過剰さはいつもどおりそこにあって満足した。一方で「ポリコレ」的な方向で言えば、さすがにちょっとToo muchかも…という気持ちになった。
究極のニヒリストゆえに常に逆張りをかましていく姿勢、しかもそのかまし方がユニーク。本作では手を替え品を替え、ひたすらSNSひいてはスマホに対してブチ切れていてオモシロかった。デジタルミニマリズムとかスマホ脳とかデータ主義のアプローチとは全然異なる屁理屈をひたすら並べていてそれを読むのが楽しい。もはやSNSやスマホがない世界は1mmも想像できないわけで、そんな中で彼がいかに抗っていたのか、戦いの記録でもあると思う。なんでも事前に検索してしまう癖に関する指摘はその通りだなと思う。どこに行くにせよ、食べるにせよ、どんなものか事前に検索してしまう。裏切られることも少ないが、期待を超えることも少ない。予定調和を自ら生んでいることに気付かされた。
オリンピックがうまくいかないだろうという逆張りを2017年から始め、他にも予言めいたこと(オールドジャニーズの退所ラッシュ、嫌煙→嫌咳への流れなど)がいくつか当たっているところが怖い。ニヒリストの逆張りが現実に出現してるのだから。
特にSNSは使用者が幼児化/退行することやアディクションという意味で酔っているのと同じ状態だと主張していたのだけど、実際にTwitterに降臨してしまった今年の2月、著者は自らを持ってそれらを実証してしまっていた。木澤氏は冗談めかしてパフォーマンスなのでは?と言っていたが、その少ない可能性に同じくすがりたい1人の読者である。自分の声が公共の電波に乗らなくなり、SNSアンチを標榜していたがゆえに世間とコネクトする手段を失ってしまった。それがあのズレた一連の対応の大きな原因なのではと思う。(ラジオ番組が無くなったことは本当に誰も得していない…)公の番組とかに戻ってくるのは難しそうだし相性の良さそうなYoutubeも中指立てるだろうから、まだ読んでない書籍を細々と読んでいきたい。最後にオリンピックに捧ぐ鎮魂のライン。
私はオリンピックに有意義さがあるとすれば、期待するだけしてコケる、という経験が何かを奮い立たせる効果、にしかないと思っている。勝利を!その前に壮大な期待はずれと痛みを!(Vサイン)
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