2020年12月9日水曜日

言葉と歩く日記

言葉と歩く日記/多和田葉子

 多和田葉子が日常をつづりつつ、そこで話した/書いた/聞いた言葉について考察した日記。日本語とドイツ語のバイリンガルだからこそ見出せる観点での数々の話がめちゃくちゃオモシロかった。言葉を学ぶ、となるとどうしても勉強感が出るし、分からないことに遭遇すると面倒だとか嫌だと思ってしまう。そんな場面で著者は言語に対する純粋な興味で常に楽しんでいるのが印象的。ドイツ語をはじめとする他言語と比較して見えてくる日本語の相対的なポジションがあり、日本語第一言語の人間としては目からうろこというか、多少英語を読める自分が言語を一義的にしか捉えられていないのだなという気づきもあった。所有格を表す代名詞や主語が日本では多くの場合に省略されることに触れて、毎回書かなきゃいけない違和感を訴えていて、このレベルの作家でも感じるのかと勉強になる。(英語で文章を書くと毎回「I」始まりでうんざりする)
 著者が様々な土地を訪れている旅行記としても楽しめる。朗読会を中心とした海外における文学の受け止められ方/消費のされ方の違いが興味深い。日本では本を読む人同士がコミュニティを形成しにくい印象だけど朗読会などがあるとまた違うのだろうか。トークイベントは結構開催されているものの、それよりも観客と著者のセッションのような時間が文学の場を形成するという意味で尊い気がしている。
 とにかく言語のセンスが飛び抜けてかっこよいのでパンチラインも連べ打ちで付箋貼りまくりの中でも小説家として最高にかっこよすぎるラインがあったので引用しておく。小説なめんな宣言。

一般読者の分からない単語を使ってはいけないという考え方は確かにおかしい。読者の知識とは無関係に小説の言葉の豊かさというものがある。小説の中の言葉は、買うことも食べることも消費することもできない。ただ、そこにあるのを読者が読むだけで、読むことによって言葉が減るということはないから、いつまでもその豊かさは残る。わたしたちはそれに触れることの喜びを味わえばいい。分からない単語があったら、放っておいてもいいし、辞書で調べてもいい。小説にとって、読者はお客様ではない。お客様にあわせて貧しくなる必要はどこにもない

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