2025年2月26日水曜日

風と共にゆとりぬ

風と共にゆとりぬ/朝井リョウ

 先日読んだ時をかけるゆとりの続編エッセイということで読んだ。前作における大学時代の「オモシロエピソード」はおじさんにとって若干辛いものがあったが、本作では専業作家になってからのエピソードが多く、なおかつ著者のエッセイ力が格段に向上しており、思わず声を出して笑ってしまうシーンがいくつもあって相当オモシロかった。

 第一部は「日常」、第二部は日経での連載、第三部は「肛門記」という三部で構成されているエッセイ集となっている。一番笑ったのは第一部だった。著者曰く「小説に込めがちなメッセージや教訓を 「込めず、つくらず、もちこませず」を モットーに綴った」とのことだが、文章で人を笑わせるスキルの高さは業界屈指の腕前といっても過言ではない。お気に入りのエピソードは「対決!レンタル彼氏」と「ファッションセンス外注元年」。前者は、女性の担当編集者がレンタル彼氏のサービスを利用し、著者が編集者の弟として食事をするという奇怪すぎる話。「誰かになりきりたい」という著者の願望が、これ以上ないほど歪んで達成されている様がとにかくオモシロい。後者は、ファッションセンスのない著者がスタイリストに服を見繕ってもらう話。その前段におけるGQでの撮影エピソードがオモシロすぎて腹よじれるほど笑った。ネット上で実際に使われた写真を見ることができる点まで含めて最高の読書体験であった。

 第二部は日経に載っていたこともあり、真面目成分が多めとなっている。オーディション論、友達論、物語論など著者の視点の鋭さが光っていた。特にオーディション論は、十年前に書かれた文章だが、今のオーディション番組ブームの最中に読むとかなり味わい深い。

パッと現れサッと去る受験者たちの後ろ姿を見て、私は、彼らはこの十五分間の前後にも別のオーディションを受けているかもしれない、という当然の事実にやっと気が付いたのだ。私が見たのは、二十五人それぞれのたった十五分に過ぎない。それだけを見て、人の星とか運命とか都合のいい言葉で思考をこねくり回していた自分に辟易した。あの二十五人は、昨日も今日も明日も、手を替え品を替え場所を替え、自分のもとに巡ってくるかもしれない星を摑もうとしているのだ。勝手に創り上げた想像を押し付けて、気持ちよく言語化できた解釈をねじこむのはやめよう、と思った。そんなことばかりしていたら、そんな作品ばかり書いてしまいそうだ。

 そして、ラストは「肛門記」。痔瘻を患う著者が手術に至るまでの過程を描いている。タイトルを見たときに、これはまさかと思ったが、最新刊である生殖記の前段と言えるはずだ。というのも、肛門を擬人化したシーンがあるからである。そのくだらなさったらないのだが、著者が得意とする客観の視点を駆使しつつ、前作の「お腹が弱い」「痔主」というフリをタランティーノばりに回収してくるので、ここもかなり笑った。「つまらないから意味がない」という短絡的過ぎる考え方、読み方を反省し、意味偏重主義から抜け出して、もっと肩の力を抜いて生きたいと思わされた。そんな著者が尊敬するエッセイストは、さくらももこ氏らしく、たまたま家にあるので、少しずつ読んでいきたい。

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