2026年3月13日金曜日

valknee issue vol.1

valknee issue vol.1


 ラッパー自らが紙でZINEをリリースする時代に突入している。ということで読んだのは、先日アルバム『GEAR』をリリースしたvalkneeによるZINE第一弾。全ページフルカラーとはいえ、若干お高め…と思っていたものの、今の時代に音楽を聞くことの多層性を拡張する、お値段以上の素晴らしい試みだと読み終わってから感じた。

 新しいアルバム『GEAR』について多角的に深堀りした一冊となっている。「今、音楽をアルバム単位で聞いている人はどれだけいるのか?」と、音楽好きな友人たちとよく話す。アルバム単位でどうのこうの言っているのはコアなリスナーだけであり、プラットフォームの構造上もいかに曲単位でヒットを作れるか?という競争が促進されている。毎週のように新譜がリリースされ、リスナーはプレイリストで供給される新譜を聞いて、半年も経てば曲の鮮度は落ちてしまう。

 そんな流行り廃りの早い時代において、アーティストたちはさまざまな方法で、リスナーが聞くきっかけを作ろうとプロモーションを繰り返すわけだが、valkneeが今回提示しているのは紙媒体のZINEというフォーマットである。インタビュー、セルフライナーノーツ、クロスレビュー、エッセイ、ルックなど、さまざまな角度で『GEAR』という作品に迫っている。アーティストとしてのvalkneeをどう表現すればいいか、その試行錯誤の様子が伺える。メタ視点で見たvalkneeと、主観的に譲れないポイントでせめぎ合った結果として作品が生まれており、インディペンデントでやっていく上での矜持が随所から伝わってきた。

 ライターのつやちゃんが企画・監修で併走していることもあり、雑誌としてのクオリティが高い。ビジュアルブックとしての面白さと、読み物としての面白さの両方を抑えており、そのバランスの良さから昔の雑誌を思い出して懐かしい気持ちにもなった。本人が最後のエッセイで触れているとおりショート動画を筆頭にインスタントな消費が繰り返される中で、すべてが真逆のアプローチではあるものの、活字中毒者としてはたまらないものがあった。

 ラジオやさんごっこのエピソードで、このZINEが紹介されていた際、星野源『YELLOW MAGAZINE』がモデルの一つにあるとのことだった。アーティストたちは「言いたいことは曲にすべて込めています」と言って自己開示しないケースも増えているが、本当にそうなのか?と問うているようなZINEである。伝えたいことがない、もしくはあったとしても、ちょうどよく届く媒体がないから、そう言っているだけなのではないか?と思わされるほど、ZINEとアーティストの相性の良さを今回読んで感じた。他のラッパーもこうしたZINEを作ってみて欲しい。

 一番興味深かったのはクロスレビューである。これを読む前に自分でもレビューを書いていたので、掲載されたレビューと読み比べて楽しんだ。参加している書き手の顔ぶれもユニークで、valkneeの音楽との距離感に応じた様々なスタイルのレビューが並んでおり、読んでいると同じ音楽を聞いても感じ方はまるで異なる、という当たり前の事実に気付かされる。SNS時代では影響力の大きい人の短い言葉が「正解」として一人歩きすることも多い中、こうやって各人がアルバムに向き合って長い文章を書くことの尊さよ。雑誌のクロスレビューとは異なり、各人に必然性があるからこそ、23分と短いアルバムながらも、そこにある深さが理解できる仕様となっている。

 なかでも中條千春によるレビューがかっこよく惚れ惚れした。冒頭でGEAR=社会における歯車(ピース)というアナロジーを提示し、終盤にギアとエンジンを対比させながら、ギアの重要性を主張していく鮮やかさに唸った。

 日本語ラップは一人称の音楽であるゆえに、それを解釈し、言語化することが野暮だという意見が根強くある。なぜなら一人称である以上、「本人の意図したことが正解だ」という主張が成立するからだ。果たして、本当にそうなのだろうか?アーティストが作品に残した意味を汲み取り、解釈する行為によって、本当の意味で作品が完成するのではないか?最近そうした主張の本をいくつか読んでいることもあり、valkneeの試みに連帯を示したくなった。

 ラストにある本人のエッセイも気合いを感じる素晴らしいステートメントのようだ。アーティストとして活動することのリアルが詰まっていた。特に自身の環境分析が興味深く、周囲に対してこれだけ客観的な視点を持つことができる、その鋭い眼差しこそがvalkneeをvalknee たらしめている気がした。活字中毒の日本語ラップファンはマストで読むべきZINE。

2026年3月10日火曜日

牛を食べた日

牛を食べた日/千葉貴子

 バックパックブックスで買って積んであったことを思い出して読んだ。「飼っていた牛を食す」という一連の流れがドキュメンタリーのように記録されつつ、私たちの食肉文化について考えさせるリーチも併せ持った興味深い本だった。

 和歌山県の農村が舞台で、著者と同じ村に住む人が飼っていた牛を食べることに決めて、実際に食べるまでの過程と、その背景が書かれている。当たり前のことだが、私たちが普段食べている牛、豚、鶏といった肉は誰かが捌き、それが食べやすいサイズにカットされ、スーパーに陳列されたり、外食で提供されている。普段はそういった流れについて、意識していないが、本著を読むとその一つ一つの工程に思いを巡らさずにはいられない。

 この牛は食肉目的ではなく、牛耕という使役目的で飼われていた。しかし、牛耕がうまくいかず最終的に食べることにしたという。今の日本では特殊な状況が書かれている点が貴重な記録である。(仮に寿命まで飼育したとしても、最終的には産業廃棄物として処理されてしまう現実に驚いた。)

 と畜場へ出荷する一日の様子が克明に記録されているのだが、その道中があまりにもドラマティック。牛を運ぶだけでもこれほど大変なのかと、読んでいてハラハラさせられた。そこで発生する矛盾する感情について否定も肯定もせず、淡々と記録している点が印象的だった。

 著者は現在の牛肉消費のあり方に懐疑的な立場だ。食用として牛を飼うことで地球環境に与えるコストについても具体的に書かれていて勉強になった。もともとあった自然が、食用牛向けの飼料用の穀物畑や飼育場へ置き換わっていくのは確かに本末転倒に思える。

 愛情をもって接していた存在を食べる。この行為に矛盾を感じる人がいるかもしれないが、本著を読むと、矛盾することなく、むしろシームレスに感じる。使役動物から食用動物へ役割が転換するだけで、あくまで生活のために存在しているという認識がある。

動物をまるで家族の一員のように捉える感情移入ではなく、利害の一致で一緒にいる、ということなのかなと思う。最近で言うところの「ビジネスカップル」のような。人と牛のビジネスカップル。

 「同じ地球に暮らす動物」というあまりにも粒度の粗いレイヤーで捉えてしまうと、犬や猫のような愛玩動物と混同され、動物愛護の議論へと発展していくのだろう。昨年から話題となっている熊騒動で「熊がかわいそう」と自治体にクレームを入れる人が一定数いたことからもわかる。動物愛護はポリコレと地続きの文脈にあり、昔よりも「熊を駆除することの正しくなさ」に抵抗を感じる人は増えているかもしれない。しかし、そういったクレームを入れるのであれば、食肉ほど暴力的な行為はない。その点について自覚的な人はどれほどいるのだろうか。

 本著では、生き物と共生することに関して高い解像度で語られており、机上の空論で「正しいっぽい」ことを言うだけなら誰にでもできるが、実際に命をいただく行為と密接に関わる人たちの現場の声を知ることの大切さを強く感じたのであった。

 動物を食べる行為について「かわいい、かわいそう、おいしい」という著者の表現が独特で頭に残っている。本来であれば、生き物をと殺して食べる行為は、これだけ相反する感情が入り混じる行為であるにも関わらず、現代の食肉産業はそこをマスキングしてしまっている現状を端的に表現しているからだ。食肉産業が工業化され、システマチックに市場へ肉が供給されることの利便性を享受するだけではなく、消費者として少しでもカウンターアクションできればなと考えさせられた。とはいえ、結局は家族で焼肉きんぐへ行き、牛タンを何度も頼んでしまう自分の姿が容易に想像できてしまい、生きることの難しさを痛感した。

2026年3月9日月曜日

Make Some Trips! vol.2

Make Some Trips! vol.2/バックパックブックス

 代田橋にある本屋バックパックブックスによるオリジナルZINE。今年で5周年というポストをインスタで見て、積読になっていたことを思い出して読んだ。店主と執筆陣の関係値が、そのままZINEという形で表出しているようでオモシロかった。(vol.1は廃盤だそうです、読みたい…!)

 さまざまな人が旅に関連したエッセイを中心に寄稿している一冊。有名、無名問わず、各人の旅行に関する話はどれも興味深かった。紀行文というほど大袈裟なものではなく、広い意味での旅に関するエッセイだからこそ人を旅に駆り立てる力があり、特に最初と最後が、今行きたいと思っている青森のエッセイで挟まれていることもあいまって、読むうちに旅行に行きたくなった。

 旅のエッセイとはいえ本屋なので、本と旅が紐づいている点が特徴的だ。同じ場所を訪れても本を読んで得た前提知識があると、他の人が見えないレイヤーが見える。結果として旅行体験をさらに豊かにしてくれることがよくわかった。旅先について行く前に調べて、なんでもネタバレしてしまうことには興醒めするのだが、本を読み、頭の中に知識を持って旅行するのは楽しそう。いつも行った後にどういう場所だったのかな?と読むことが多いけれど、予習として先に読んでおくのもいい。

 本著で取り上げられている、駒沢敏器 『語るに足る、ささやかな人生』が復刊されることを先日知ったタイミングで、このZINEを読めたことに運命的なものを感じたし、さらにはその復刊本の巻末コメントを店主の宮里さんが担当されているというミラクルっぷりに驚いた。発売したら代田橋まで足を伸ばして買いに行きたい。5周年おめでとうございます!

2026年3月6日金曜日

書店員の怒りと悲しみと少しの愛

書店員の怒りと悲しみと少しの愛

 ツイッターで印象的な表紙を見かけてオモシロそうだと思っていたら、行きつけの本屋に置いてあったので読んだ。ここ10年ほど比較的熱心に本を読み、書店に通う身としては、読んでいて辛い部分がありつつ、読み手に本が届くまでの実情を知ることができて勉強になった。

 本屋の過去、現在、未来について、現役の書店員や店主、さらには退職した人までが語っている。本屋が社会的インフラだった時代は終わりを告げ、斜陽産業だと言われて久しい。とりわけAmazonの登場以降、本はもっとも割を食っている商材の一つだろう。実質無限に在庫があり、ワンクリックで注文可能、翌日には届く。電子書籍も拡大し、ワンクリックで購入してその場で読める。こういった利便性を持つ競合と実店舗の本屋は戦っていく必要がある。

 実店舗としての本屋を残していくのであれば、書店、流通、取次、出版社といったサプライチェーンが一体となって、Amazonを中心としたネット通販に対抗するための施策を考えなければならない。しかし、そこまで進んでいない現状が詳しく語られている。当然、過去の経緯もあるのでドラスティックに何かを変えることは難しいのだろう。課題のジャンルは異なるものの、複数のプレイヤーがそれぞれの利害をめぐって揉めることは仕事につきものだなと感じた。

 読んでいて辛い気持ちになるのは、単純に「本屋は大変」という批判ではなく、タイトルどおり本屋への「少しの愛」が文章の節々から伝わってくるからだ。むしろ「最悪だ!」と強めにディスってくれたほうが清々しく読めるわけだが、なんともいえない底知れぬ怒りと悲しみが文章からにじみ出ていた。本著に寄稿するくらいなので、筆力がある人が抜擢されているとはいえ、書店員の方々の文章力の高さに驚かされた。

 そもそも論として、社会的に小売業に対するリスペクトが少ないように感じる。「ゼロイチで何かを産み出す人間が偉い」という価値観の過度な浸透とは無関係ではないだろう。正直、私自身もZINEを作り、イベントで自ら販売したり、本屋に卸して販売してもらうまで、モノを売ることの大変さをまったく理解できていなかった。モノは置いておくだけで売れるわけではない。小売業に従事する方たちのきめ細やかな創意工夫の積み重ねの結果だということを痛いほど思い知ったのだった。

 学生時代、某チェーンのレンタルショップでバイトをしていたのだが、その頃のことも鮮明に思い出した。CDやDVDを無料で借りられるとはいえ時給は最低賃金ポップもバイトが家で作っていた。学生だった自分にとって、自分が書いたポップのCDやDVDをお客さんが借りてくれるのは何とも言えない嬉しさがあった。今振り返れば、その承認欲求を店側にうまく利用されていたのだなと気づいた。

 また、BOOKS青いカバの店主である小国氏が言及していた「接客向上」の話にも似た記憶がある。当時の店長が無類のディズニー好きで、チェーン店舗間の接客評価もあったため、「ディズニーランドレベルの接客をこの店で達成する!」と意気込んでいた。丁寧な接客ができない人間はシフトを減らされることになり、「こんな下町のレンタルショップで誰がそんな接客求めんねん」と思って何もしなかった結果、案の定シフトを減らされたのは苦い思い出である。

 ネットショップにない要素として「人間による細やかな接客」は確かに実店舗の強みかもしれない。しかし、そんな短絡的なことで利益率の低さをはじめとする産業構造の歪さを解決できるはずもない。接客がお店づくりにおいてコストになっているという指摘が複数の書店員から出ており、異なる現場から同様の声が上がっていることが一冊の中で確認できる点に本著の価値がある。

 本屋に行く動機として「目的買い」のケースはここ数年ほとんどなくなった。なんとなくお店に行って、自分の琴線に触れる本を探して買うことが多い。その点では、独立系書店、古書店、新刊書店のどれも等価なのだが、ランダム性が高い独立系書店、古書店に足が向きがちでだ。新刊書店も、子どもの習いごとのあいだに立ち寄ることはあるのだが、どんな本が出てるのか眺めるだけで終わることが多い。そうして「遅かれ早かれ買うつもりの本」をその場で買わないことが、結果としてどれだけ書店の売上を減らしているのか。往来堂書店の店主のインタビューを読んで、そのことを痛感した。

 これだけ脊髄反射なエンタメが氾濫する世界では、読書はむしろ知的行為として崇高ささえまとっている。結果として本屋はどこか非日常な場になりつつあるのかもしれない。しかし、実際の商いは泥臭い作業の連続であり、本屋がこれからも悪戦苦闘するであろう実像がわかる本として、これ以上のものはないだろう。

 そして、発行者である長嶺氏の最後の言葉が印象的だった。本屋や書店員に皺寄せがきている、取次、出版社もこの状況を打破するために協力できないのか?といった声が本著にこれだけ集まった中で、こんなことはなかなか言えない。

私は、書店がどんなに苦労しているとしても、同じ業界にいるからといって、出版社がその苦労を分かち合うべきだなどとは思っていません。

 一見すると極めてドライな意見に映るが、泥舟のなかで足を引っ張り合い「しんどいから一緒に苦しもう」というのは解決策ではない。「もっと未来を切り開く可能性を模索しよう」という前向きな態度の現れだと受け取った。読了前後で本屋および書店員に対する解像度が一気に変わるので、本が好きな方にとってはマストで読むべき一冊。

2026年3月3日火曜日

リック・ルービンの創作術

 

リック・ルービンの創作術/リック・ルービン

 Mu-tonのMVで登場したり、ISSUGIがスタジオ紹介で言及していたり、そしてついに曲名(BABYWOODROSE「リックルービン」)やリリック(Campanella「Monarch」)にまで登場しているリック・ルービンによる書籍。タイトルどおり、彼がどのようにクリエティブを発揮して、創作に向き合っているか、それを余すことなく書いてくれている一冊で興味深かった。

 リック・ルービンはヒップホップ創成期の立役者であり、Def Jam Recordingsを立ち上げた一人でもある。個人的には、Jay-ZやKanye Westのクラシックに関わっていることでその名を知った。特にJay-Zのドキュメンタリー『Fade to Black』における「99 Problems」の録音シーンが印象的だ。他にもKanye Westにとってキャリアの分岐点となった『YEEZUS』にも彼の存在が背景にある。そんな彼が音楽業界でいかにトッププロデューサーとしてやってきたか、そのノウハウや思考がたくさん詰め込まれている。

 読み始めて気づくのは、スピリチュアルな語り口が強いということ。宇宙とのコネクション、運命論的な発想は、正直受け入れづらいなと思いつつも、過剰に主張されるわけではなく、むしろ創作において前のめりになりがちな意識を一歩引かせるための装置のようにも映る。能動的な姿勢も大切だが、受動的な姿勢で適切なタイミングを待つことを伝えるための比喩としての「宇宙」と解釈すれば腑に落ちた。

 今回は通読したものの、本著はそれよりも自分がクリエティブなことで煮詰まった際に、リック・ルービンならどのように考えるかを教えてもらう、辞書や事典のような読み方が適切だろう。 本の構成としてもアイデアベースから始まり、アートが完成に至るまでの各工程に応じた、具体的なハウツーから抽象的な考え方まで網羅的に抑えてくれているので、読むというより「使う」に近い。なので、スタジオに置かれている理由もよくわかる。そういった用途を想定したような圧倒的な装丁の美しさは特筆すべきポイントだろう。手に持ったときの重厚感が素晴らしく、本著で語られているクリエティブを体現しているとも言える。こういった理由から必ず紙の本で買うべきと断言しておく。

 自己啓発書で似たようなことを書いている本は探せば、正直見つかるかもしれない。しかし、結局のところは「どの口が何言うかが肝心」であり、リック・ルービン御大の言葉だからこそ響くのだ。彼は冒頭で「生きているだけでアートだ」と喝破する。アートを特別な領域から引き下ろし、間口を極限まで広げる。それは明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」を彷彿とさせるもので、誰もがアートにコミットできるとエンパワメントしてくれているようだ。他にも、アートのために別の仕事をこなすことは、純粋な作品を作ることができるベターな方法だとダブルワークを肯定していた。サラリーマンとして働きながら、ZINE作りを続ける身としては勇気づけられた。

 オール・オア・ナッシングで、何も手につけられないことは、アテンションエコノミー時代には往々にしてあることだ。完璧を目指さなくていいから手を動かして一歩目を踏み出し、6〜8割の出来でも走り切ったときに見えてくる風景を目指せ、というアドバイスが刺さった。なので、次のZINEを作ろうと思って、今は少しずつ手を動かしている。