2025年7月4日金曜日

死なないための暴力論

死なないための暴力論/森元斎

 随分前に二木氏のツイートで知って読んだ。直前に産獄複合体を題材にした小説『チェーンギャング・オールスターズ』を読んでいたこともあり、必要な「暴力」に関する論考はどれも興味深かった。

 間違いが許容され辛い潔癖な世界の中で、暴力は忌避される方向にある。理不尽に他人の権利を侵害するような暴力は悪であることは当然として、本著では「暴力を十把一絡げに悪とみなしていいのか?」という議論が終始展開している。つまり、のほほんと「非暴力」を掲げていても、国家の暴力的振る舞いには太刀打ちできないのだから、カウンターとしての暴力が必要なのではないか?ということだ。本著における暴力はただの殴り合いや戦争のことではない。税の徴収や家父長制といった制度がもたらす抑圧も含まれる。そう考えると「自分には関係ない」なんて言える人はいないだろう。

 人間は潜在的に暴力を内包し、それがいつ、どのような形で顕在化するかに焦点が当たっている。今の世の中で暴力と無関係に生きることは不可避である。そんな前提のもとで古今東西の暴力議論と実例を紹介してくれている。

 例えば、イギリスの女性参政権を獲得するまでの市民運動、メキシコでのEZLNによる自治のエピソード、クルド人によるロジャヴァ革命などが紹介されている。その背景にある考え方や、暴力性があったからこそ社会が変革したのではないか?というアナキストらしい意見が展開されており興味深かった。いずれもあくまでカウンターとしての暴力であり、暴力が先攻行使されていないことがくり返し主張されており、これは本著における重要なポイントである。

 新自由主義は今や世界中に広がった思想であり、その暴力性は世界で火を吹いているわけだが、その黎明期における広め方について解説されており、知らないことばかりで驚いた。すべてに市場の原理を導入して淘汰した挙句、上流だけがお金を儲けて、その結果もたらされた荒廃を引き取るのは、下流にいる民衆という話は何回読んでも腹が立つし「勝ち馬に乗れないと負け」という思想は本当に貧乏ったらしくて嫌になる。そんなブルシットに対しては、やはりカウンターをかまさないとやりきれない気持ちになる。

 抑止力的な意味合いでも暴力の必要性が議論されている。暴力をふるわれるのは、こちらが非暴力で無抵抗だからであり「やられたら出るとこ出るぞ」というマインドが大切だということは、ここ十数年の国の無策っぷりで痛感している。国民が舐められているのは明らかだ。

 個人に対して暴力的な気持ちを抱くことは加齢と共に減ってきてはいるものの、対国家、権力という視点で考えれば、いつだってそんな気持ちである。選挙だけがカウンターできる手段だと思い込まされているが、間接的抗議であるデモの価値について分析がなされていた。短期的成果ではなく、中長期的な社会変革を見据えた視点は、日本のデモ観に対する有用な意見だったと思う。デヴィッド・グローバーがかなり引用されており、改めて彼の論考の鋭さは本当に貴重なものだったのだなと痛感した。そして亡くなっていることに途方に暮れるのであった…

 自分の中に国家を内在化し、結果的に排外的な振る舞いをする人が増えている中で、国家と同じヒエラルキー構造ではなく、非国家の形で民衆が起点となり反操行を繰り広げる必要性を痛感した。本著でも取り上げられている大麻の問題もその一つと言える。国家の枠組みを盲目的に信じているだけで本当にいいのか?国とは別の枠組みで権利を考えてみることをあまりにも忌避しすぎてないか?そんなことを考えさせれられた。

 終盤では、暴力が起こる手前における民衆同士の相互扶助の議論が展開されており、グローバーの提唱する「基盤的コミュニズム」の議論が刺激的だった。というのも子育てをしていると「基盤的コミュニズム」の欠如を著しく感じるからだ。特に首都圏はひどく、目も当てられない場面に幾度も遭遇している。しかし、先日関西に久しぶりに帰ったときに感じた子どもに対する「コミュニズム」的な視点やアプローチには逆に驚かされたことを記しておく。

 そして最後に引用しておきたいのは、前述したメキシコのEZLNマルコス副司令官による例え話。

警察に不満があるからといって、自分が警官になることで解決しようとする市民はいないだろう。もし警察がうまく機能しないのなら、市民は警官になろうとするのではなく、より良い警官を配置するよう要求するのだ。このことはEZLNの提起に通ずるところがある。われわれは権力を批判する。しかし、だからといってわれわれは権力を排除しようとしているのではなく、適正に機能し、社会の役に立つ権力を求めているのだ。

国家、権力に対して批判すると、すぐに「てめえがやれや」「代替案は?」という言葉が飛び交う今こそ、この言葉は有用だと思う。暴力のない世界が理想だけども「なめんなマインド」は常に忘れないでいたいと思わされた一冊だった。

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