2025年8月30日土曜日

介護入門

介護入門/モブ・ノリオ

 エドワード・サイードの『ペンと剣』を読んだきっかけが著者の紹介だった。その記事を知ったタイミングで芥川賞受賞の記念品をメルカリに出品するというオモシロ過ぎることをやっていたので受賞作品を読んだのであった。久しぶりに小説で頭にガツンとくる内容でめちゃくちゃクラった。大麻、介護、文学が魔合体し、気づけば「介護の入門書」と読めてしまう奇妙な読書体験だった。

 物語はシンプルで、30代の男性が実家で母と共に祖母を介護している。それだけで大きな展開はない。延々と描かれるのは、主人公が介護している情景および心情描写、介護にあたっての心構えだ。閉ざされた家庭内介護の空間からトリップしていくかのような主人公の思考の展開は、著者がまるで吸引しながら書いているように映る。

 ラップのリリックを彷彿とさせる文体が特徴的で、その大きな要因の一つは繰り返し登場する「朋輩」という言葉だ。同志と同様の意味をもち、本来の読み方は「ホウバイ」なのだが、作中ではルビが「ニガー」と振られている。2025年の現在、このNワードはアフリカ系アメリカ人固有の言葉として、部外者が使うことは差別に加担する行為とみなされる。しかし、2004年時点では、芥川賞を受賞するほど世間的に認知された小説でもこれが問題にならなかったのかと時代を感じた。当然Nワード自体には問題があるのだが、「朋輩」という呼びかけが、読み手を物語に引き止め、発散する視点をひとつに収束させる効果を生んでいるのもまた事実である。

 表紙に麻の葉模様が描かれているとおり、主人公は大麻を吸引しているのだが、あくまで日常のルーティンの一つでしかなく、描写としては控えめなものだ。大麻で酩酊状態のまま祖母を介護する主人公には、様々な思考の濁流が押し寄せ、延々とそれが吐露されていく。特に自らの親であるにも関わらず介護にコミットしない親戚や「介護地獄」と称してコタツ記事を書くマスコミ、ろくに介護したことない開発者が生み出す介護ロボットへの呪詛のような言葉の数々がハイライト。ロジック、文体どれをとっても一級品であり、こんなにネチネチと「なめんなよ?」と表現することができる作家の筆力と独特の文体。芥川賞受賞も納得の仕上がりである。

 一方で、作中には真っ当な介護の心得も折り込まれる。だからこそ前述の呪詛のような文章とのギャップが興味深かった。取材して描く作家には書くことができない、介護当事者の気持ちを余すことなく書いているからこそ、本書はスペシャルなのだ。介護は被介護者が亡くなったときに終わることになるが、その終わりが訪れるのは明日かもしれないし、五年後かもしれない。そんな終わりが明らかではない介護生活でのマインドセットについて、著者が言葉を尽くして書いてくれており、文字どおり「介護入門」として役に立つだろう。

 「血」と「記憶」を相対的な視点で捉えて、血縁至上主義に対して「記憶」でカウンターを放っている点が印象的だった。それは祖母の実子でありながら介護に関わらない親族に対する激しい罵倒と裏表の関係にある。「祖母の記憶の物語が、血の物語を乗り越えるのだ!」という宣言は、閉塞的な介護生活を突破する力強い思想にもなっていた。

 終盤にかけて、祖母に対する愛、生きてほしい気持ちを主人公が吐露している。石畳に頭を打ってしまい、ICUで生死をさまよう祖母に主人公が語りかけ、触れ続ける姿はエモーショナルそのもの。その一方で、介護が人を追い込んでいく現実も描かれ、日々ギリギリで命をなんとか繋ぎ止めることのリアルが浮かび上がっていた。

 2004年刊行当時に比べ、大麻も介護もいっそう身近なものとなった今だからこそ、両者が交錯することで見えてくる感情の機微は、今こそ多くの人に読まれるべきだと思う。

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